りろーど中

まとりくすで特徴的な動きって言うのが人体を構造的、数学的というか。幾何学的に動かすという発想なのかもしれない。例えば普通のかんふー映画ではありえない無呼吸での対峙って言うのがすごい特徴的な静けさを生んでいる。それを法則をハッキングして無視する(ハッキングなんて言葉は使ってないけど)とか言われると萌えるよねぇ。その静けさはCGの多用(エフェクト含む)によって幅(演技の幅じゃなくて、こう映像の表現の幅みたいな)が広がっていったような気がするわけだけども、同時にアクターのアクションと言うものがなんだかこう。荒く見えるというか。人間臭みを減らしていった果てにあの奇妙な映像。不気味な静けさを持つあくしょんがあるとしたら、人間の動きがどうしても粗に見えてしまうのはなんだか微妙だなとか考えてしまう。急稼動から急停止。高速からスローまでが完全に計算されているほうが綺麗なのだろうか。これってなんだかデジタルロック(名称知らん)とでも呼ぶべきhideちゃんが作ってた完全に音のタイミングを一致させる音楽にも似ている気がする。それがデジタル化ですか?すたーうぉーずはそうじゃなくて。CGによって荒くするというか結局トンデモっていう一言に尽きるのか。トンデモの方向性も色々あって、結局破綻する局地にまで到ったらそれが笑いか衝撃にでもなるというか俺には全部笑にしかならいんだけど。まとりくすが嫌いじゃないのは個々人の信じるものが全て信仰として描かれているからだったりする。特に第二話以降。まぁ、もろキリスト教だとかいいんだけど。そんな話はどうでも。まとりくすに似てるのがりべりおんな訳だが、あれは全く逆だった。まぁ結局すべて設定萌えか。