朝よこんばんわ

最高でした。夜よこんにちわ。物凄くよかった。ラストのシーンでなぜか泣いていた。凄かった。とりあえず見れる奴は見ろと言う。
と言うことで以下ネタバレ。というか、メモ。一応キーワード気にして反転してみようか。

オープニングの異常なような言葉の羅列。対峙する夫婦が不気味な違和感。
直後の戦場のような花火の音。まるで、狂っているかのようなメインの女性の顔。
背面の風景の中で動く人。物凄く引きのショットで何かの構図のように動く人たち。
その映像が物凄く遠い世界であるかのように写る。
赤ん坊とそれに対峙するように流れる5人の死。
このメインの女性はまるで最初から党員であるようには見えない。もっと、なんとなく。モラトリアムな状態にあるように感じる。極端なまでに調節されたほかの3人と、半分日常に足を突っ込んだ二重生活のせいでバランスの崩れた役柄になっている。その気持ち悪さは一つのベットで次々に隣に寝る男が代わる映像に表れている気がする。
ピンホールからのぞいたようなモロ大統領は対岸の世界のように見える。その境界がどんどん曖昧になっていって、あるところ。それは手紙を読み上げて涙を流しながら拒絶するシーンだろうが、そこで物凄い速度で現実に引き戻される。
ラストの歩くモロは物凄く、素晴らしい映像だろう。思わず涙がこみ上げた。これを撮った人はなんて優しいのだろうかと。これぞ映画。映画でしか行うことのできない希望。本当に、希望であったり、願い。祈り。そういった言葉が映像になったものだった。くるみ割り人形をバックにいたずら小僧のように、そして同時に全てを許すもののようにたたずむモロがそこで開放された。本当に素晴らしかった。
この映画はある程度の歴史的常識(?そんなものあるのか知らんが。ようは歴史的背景に対する知識)がないと、全く見れないだろう。そして同様に、見に来ようとすら思わないだろう。映画論の授業の指定にするなんて最高の皮肉だろう。かつてのテロに対する映像でいまの原理主義を問うているわけでもない。その両方を許している。そんな気がする映画だった。
なんて陳腐な文字。もっとこう。本当に凄い。それだけ。唯一嫌いなのは図書館で夜よこんにちわの内容と自分の立場がクロスするところ。あれは、いやらしいというか。必要ない気がした。
ぱるちざんの歌のシーンもとても、苦しい。その苦しさは上記のものとは違い、毒々しすぎるという意味で。

ふざけんな。などと叫ばないでも、なにかを受け止めることもできる。