fa→ふぁ

例えば明日。唐突に死が訪れるという仮定をしたら。この問い掛けの意味が分からない。そもそも死というものを知らない。人が知れる(そういうことが出来るのであれば)のはせいぜい経験したものであろうが、そういったことができないようである死について今のところ、巨大な断絶程度しか考えることができない。明日巨大な断絶が唐突に訪れるとしたら。その断絶はやはり、時間的なものなのだろう。時間的に決定的に違うところに行ってしまって、今(時間としての今)の継続ができなくなることか。微分不可能点のような感覚だろう。更にそれを仮定する。仮にそのようなあやふやな自体が発生した、というよりもするという未来系であることがとても難しい。そもそも普通に生きていても明日起こることは予想できない。人為的な行為(例えば学校に行く。授業がある。テレビが放送している)といったものは集積として毎日同じようにでも繰り返すだろうが、当然一回しかないし、それが本当に行われるかどうかはその時になるまでわからない。それなのにそれほど断定的に言うということは、それ以外の世界全てを排除して、そしてそれに至るまでの経緯を考えてみるということか。それは幾通りもあるし、幾通りもありすぎるだろう。んなもんぜろしすてむで計算すりゃいいじゃないか。そういったものに興味はない。そうではなくてこの問い掛けは、その人の今の状態を聞きたいのに、どうしてこんなに遠回りをしているのだろう。なんて話を見ていて思った。どこで。どっかで。本当は見てすらいないんだって。すらすら。すらいむ。
糞眠いのに全く寝れん。糞くらえだ。馬鹿みたいだ。糞映画。東方やってる(爆