あるげーじゅつかの肖像忘れた版

何をやってみても『俺』という面白みのない枠を超えない。別にそれが悲しいわけでもないが、ただそうだという事実が気に入らない。変えようというつもりもおこらないが、そうであるといらっとする。頭で考えればどんなすばらしいものを作っている人でもある程度まではその範疇を超えなくて当然だろう。でなければ意志をもって何かを作れなくなる。そもそも作品が本人の枠を超えることなどありえないことなのだから。だがやはり、一流と呼ばれるもののなかには、そんなものもあるかもしれない。俺が作るものにはないが。他人から評価されるものは奇抜であるか、感覚が異なるかだろう。結局どんな技巧があってもそれだけでは実用にしかならない。当然、実用の美もある。だがそれは俺が求めているものではない。だがそもそも俺は美などもとめていたのか。それを手に入れようとしてこんなことになったのか。わからない。分かるはずもない。
書いてみたらなんか山椒魚ぽくなった。なんだこの自虐。あ、むしろカみゅの変身か。
俺のようなくだらない人間が。とか好きそうだよね。どふとえふすきーも書いてたか?書いてなさそうだが。フランスの退廃した感じで言ってそうじゃない