むむむーん

そうか。こんなくだらない苦悩をなくすためにあいつはいつも座らないのか。自分は座らずに他の人が座って苦悩すればよい。その際に他人がどう動こうと自分には関係ないと。だが、それは自分が席に座らなかったことから派生してるのであって自分がそこで主体的に座って行動することを放棄したのではないか。いや、確かにそうだろうが、これは座るという行為の快楽的意義を無視したものだろう。うわぁ左薬指めっちゃでかい指輪。例外的状態を考慮に入れないなら一般的に身体にとって座るのは楽だ。楽な自分を選ぶことが主体的な選択につながるのか?ならば主体的選択でたち続けることを選んだのならばそれは主体的な行動のほうきではないか。あ、降りた。俺の言い訳時間終了。こうして罪悪感だけが残る。