書かねば。と、思っていたメールをようやく書いた。
メールは打ったというべきなのだろうか。メールを打った。じゃあ、俺は何も書いていない。
本当は何かをきちんと書かなければならないのだけれども。自分にはまだ何も書けない気もする。何か劇的なことは待っていても訪れないだろうが。
それでも。自分が書いた、打った、何かは文字としての意味を超えて何かを伝えられるときもある気がする。文字で伝えられることなど、どうだっていい。伝えることなんて何も持っていない。伝える先にあること。自分のためじゃないこと。あなたのためでもないこと。自分のためでもあなたのためでもあること。
手紙でも書こうか。書いたことないけど。
昔の友達にひとりずつ丁寧に便箋と、封筒を買ってきて、季節の花でも紛れ込ませながら。
今の時期だったら梅だろう。もう少ししたら桜が咲く。
桜が終わったらなんだろうか。若葉を摘んで入れてもいいかもしれない。
それが過ぎれば夏だ。
季節はその次を示唆する。同時に過ぎ去ったそれまでの季節をも懐古させる。
夏に入れるものは、困る。初夏ならばこれから暑くなることを示唆しても構わないだろうが。夏の終わりだとその次の時期はどう示されるだろうか。
秋から冬にかけてを嫌いな人もいる。同じように春から夏にかけてを嫌いな人もいるだろう。
自分は夏は苦手だ。嫌いじゃない。暑いのに弱いのだ。寒い方がずっと耐えられる。服を着込めば良い。暑いのはどうしようもない。短パンにTシャツ。それ以上は耐えられない。
今や、昔はぼんやりと、通り過ぎていく。いや、未来とかそういった種類のものもか。