DEar

ぽつねん「DROP」の致命的なほどのネタバレになるかもしれないのでこばけん好きは読まないほうが良いです。
携帯で見ている人には関係ないかもしれないけどとりあえず反転と改行いれるとかそれくらいの処置はしておく。
慶君。おみやげはあるよwwww
アンテナにもネタバレ部分が引っかからないように最低300文字は書いておこうか。300文字とかもう楽勝だぜ?はっはっは。シューカツとかいうやつで鍛えたからな。こねとかそういうのは今回は蹴る気満々なんで一つも使えないんだ。だからきっと落ちるんだ。駄目ーなおれ。だめーなおれ。全然そんなこと思っていないところあたりが言葉を無駄にしてしまう更に駄目な俺。うそつきな俺。うそつきだからだめなおれ。全然そんなことはない。俺は最悪。最低。最高。どれも同じ意味じゃなかったっけ。
そろそろ始めようか。幕は下りていない。舞台は常に観客の目線に晒されている。幕などは必要ない。音楽が段々と大きくなっていく。照明がゆっくりと暗転する。真っ暗だ。何も見えない。だが、ホールには期待に満ちた息遣いが聞こえる。音楽のテンポが最高潮に達する。皆が次の一瞬に期待して息を呑む。爆発するかと思った音は、一転して静寂に変わる。同時にピンスポットが舞台を照らす。そこには一人の男が立っている。ざわめきは、無い。予測された登場、突然でありながら一つの典型である登場。そしてその男はゆっくりと話し始める。






とてもよかった。一言でいうのであれば本当にそれだけ。
全く分からないが、この話を書いたときは相当しんどかったんじゃないだろうか。状況が。
後ろの席の美大生っぽい子が落ちが分からないとかいってたからそこらへんからなんとなく再考。
○○的と○○の違いとか、非○○的と非○○が違うという話。
非○○的な存在、つまり非○○に非○○的であると舞台から吹っ飛ばされるということ。
これは本人の状態を表しているんじゃないのか。
有象無象が集まって、ないのに形があるようになってしまった存在に舞台から追い出されると。
そういう悲しさと言うか。本当に孤独な人だなぁ。
すたっふにも理解されてなさそうだし。それを受け入れてそうだし。
それでも伝われば言いと思ってやっているのだろうが。
最後のあんこーるから帰るときにチラチラッと客席ですたんでぃんぐおべーしょんをしている人に目を向けていたときの物凄く冷静な表情。それ見てからチェックしたけど、立っている男の人は俺とアイツともう一人いたかいないかぐらい。なんかなぁ。日本の男の人は熱狂しにくい、と言うのはあるかもしれないけど、
泣きそうだったというのは俺も同じで、作品の物凄いクオリティとその裏にいる彼自身のあまりにも孤独でさびしいな。それを全て受け止めて、その場を楽しんでいる、あなぐらむの穴とか顕著だけど、ことの黒さと言うか、舞台の背景の黒さと言うのはこばけん本人が抱えている黒さであるように見えた。作品の素晴らしさよりも、俺は寂しくて泣きそうだった。すげー興奮してるのに。大丈夫だよ!とか叫びたかった。
隣の18歳の学生の女の子は終わった後、外見じゃなくてやっていることがカッコイイ!鳥肌が立つ!って熱く語ってたんだけど、それもとてもよく分かるし、感じ方も表現形も個人の自由だけど、なんかその言葉って。違う気がするのだ。それ聞いて悲しかった。
それがあの冷めた、物凄く冷静な目線なのかなと。やりきった充足感もあるだろうけど、それと同時にある種の諦めがあるような。
というのすら。熱狂している女の子と何の代わりもない、一人の陶酔した判断でしかないのだけれども