stubent。

すちゅーべんと。
人生は欲望との戦いだ
誰か偉い人が言っていそうなセリフである。いや、俺が今言語化した以外にも酔っ払ったオヤジが新橋の片隅で、偉い人扱いされている人が公演の中で、なにかそれっぽいことを言いたいようなフィールドで言われたことがあるだろう。ポイントは語尾の『だ』である。格言ぽい言葉には迷いは必要ない。たとえ人生が迷いに満ちていたとしても、だ。ほらみろ。断定の助動詞『だ』は私たちの言語に深く食い込んでいる。『だ』がついているだけでどれほど雰囲気が変わるだろうか。分かりきった断定など日常会話ではほとんどしない。そのために『だ』などといって強調することで特別な意味を込めているように見える。の。だ。だっだだー。
前置きはこれくらいにしよう。私は今、その欲望と戦っている。それはスイッチを押したいという欲望だ。この湿度。この気温。この俺の体温。私に認識できるあらゆる事物が私にそのスイッチを押せとささやいている。あくおすの画面でさえもだ。それは私の勘違いかもしれないが、全ての表象を理解するのは私にとっては私であって、理解と言う行為を肯定する限りにおいては、私の理解を否定することは出来ない。そんなわけで私はあくおすの画面のほんのわずかの反射光にスイッチをお背と言うメッセージを受け取る。そのスイッチとは何のスイッチだろうか。言うまでもない。えあこんである。エアコンを冷房に設定して、冷房の房ってなんなんだ、スイッチを押したい。だが、私は躊躇する。
なぜ躊躇するのか。理由は簡単である。この構文も飽きてきたが敢えて続けよう。金がないからである。金がない自分にとって節約することを通り越して吝嗇であることが美徳である。そう、美徳。よく生きるというありすとてれす的生存本能に未だ支配されている私にとって美徳であるということは何よりの理由である。美徳でないことは行わないべきであろう。だがあくまでもべきなのだ。所詮べき。英語ならwouldとかせいぜいそれぐらい。
美徳である。だが、暑い。生存をかけた二つの欲望の戦いが始まった。美徳を堅守して暑さで死ぬのが先か。動物的生存本能にありすとてれす的美徳生存本能が屈してスイッチを押すのが先か。
こんなことばかりが頭を巡り、熱で頭が全く回らないために勉強は全く進まない。

エアコンは涼しいですよ。