とんだ

ひどく家を出たくなかった。さらに言うなら布団からはみ出たくなかった。布団と呼ばれる長方形の領域は人類が作り上げた最大の空間のひとつではないだろうか。みんな大切にしている。大好きであると同時に大嫌いである。彼らには倦怠や堕落という言葉と共に、やすらぎや癒しとも冠される。大いなる矛盾だ。梅雨時の湿気でベタついた布団から、所謂太陽の薫りがする布団まで。羽毛布団からポリエステルまで。さらには跳ね回る子供たちから跳ね回る大人まで受け入れる寛容さである。出ていった舎弟以上愛人未満の残り香を嗅ぐなど、喜びの極み。タオルケット一枚あればあらゆる芸術が表現できる可能性を秘めている。積み重なった布団を蹴り倒す喜び。秩序が無秩序に屈する姿をみて喜ぶ子供たち。そこには人間の奥深くにある根元的な無政府主義の萌芽が見てとれることだろう。死の床ですら、つまりは布団だ。生まれた直後にも布団に寝かされる。いや、そもそも布団の上で生まれる。どうしようもないほど人生から切り離せない布団からでて、日常をいきるのではなく、我々
は布団がメインであり、人生の布団を守るために日々の生活を営み、笑い、歌い、そして布団に帰るのだ。時間潰しに適当に書いているので全く落ちはない。今のところ思い付いていない。布団をつみあげたキャンプファイアで焼かれたいとか言ってみたいが、どうやったらそんなものがリアリティを持ちうるのか。そんなものがリアリティをもってしまったら何も言えない。今から会いたくないやつに会うからこんなに布団が魅力的なのだろうか。この梅雨という質を伴わない名ばかりの季節に会うには暑苦しすぎる、南米的な、ラテン調の男など勘弁してほしい。滴り落ちる汗からは香水の匂いがとか。もう、本当にやめてくれ。いっそ会いに行かないと思ったら布団から出るのは楽である。楽であるから会いに行かないことにして、布団から出て、結果的に会ってこよう。自分を騙すのだ。
それにしてもでっかい蛾がバスの天井にびっしりと張り付いている。一匹だけど。びっしりと天井にでっかい蛾が張り付いているバスは、嫌だな。