垂れ流す

ブログなんて文字の垂れ流しで自分の中に溜まるものなんて何もない。なんてことを聞いたので慌ててブログとやらを再開してみる。溜まるものなんてないかもしれないし、アホになり一方だろうが書きたきゃ書くし、本当に書こうとして書いたときはブログになんてあげられないくらいグロくてエロくてナンセンスなことを書いているのだ。作家が個人から解離してある種の透明性(キャラクター性とは書きたくない)を獲得していた時には、どのようなことも言いやすかったのかもしれない。それが文壇などというものが形成された理由ならば、いまはバラバラになった末に個人はくっきりはっきり個人であり、生々しいのだよ。下手をしたら話の中の恋愛がみっちりずっしり作者なんかと結びつけちまうからよくない。作っている人と作品が近すぎる。現代アートの評論なんかがその傾向に拍車なんかかけちゃったな。個個人の思想は作品と別け隔てなく一致してしまうような。んなわけあるわけないのに。作品の解説は常に作品の単純化、抽象化でしかない。
要はくろむはーつ買いに来たなら現物目の前にして雑誌見て確認してないで、店員呼んで触ったらどうなんだという話。こないだ見かけたの。彼女連れでさ。なんか、切ない。