売れなきゃ残らない本が売れなくてもネットの中でウヨウヨと残るようになっちゃって、売れない本でも何万部も刷って何万部もシュレッダーにかけてみたりして、それでもって洒落にならんほど出版される本があって、本当に本にされなきゃならないような本が本にされることなく消えていって、毎日俺みたいにアホみたいに無為な事を書いてネットに糞を撒き散らすような奴がいて、本気でネットで勝負に出ている奴がいて、ネットはもう限界だと思っている奴がいて、未だにラブレターを書いてる奴がいて、って、俺も小学校と中学校の時に一回ずつ書いたんだけど、大物批評家達はもう現在に現在性、社会性を感じられなくなったらしくて、そんなこと言われても今しか知らない俺なんかどうにかしてそれを批評して生きていかなきゃならねーのに投げやがってこの野郎ムカつくぜでもあんたは凄いよって感じだし。ならどーすんだよ、お先真っ暗じゃねーかでも、フリーターでも何でも自分探ししながら生きていけるような麩抜けた時代になってんだからもうこれ以上悪くなることもないんじゃねーの。なんてことを思っていたりするけど、やっぱり無駄に生きていくのは洒落にならないぐらい辛くて鬱病や分裂症を併発させながらも何とか今日も首を吊らないで生きてやる。いや、本気の自殺はやはり飛び降りだろ。リストカットや首吊りには逃げがあって、その逃げを突き詰めた上で飛ぶ飛び降りがやはり一番力が要るんだろう。でも、自殺って無気力の果てにするものなんだろうに、そこに物凄いパワーが必要でそのパワーの壁を突破して自殺を主体的に行わなきゃならないんだから、今日俺が死なないのは別に明日を生きようって意思が俺の死を踏みとどめたわけじゃなくて、俺の死のうとするパワーが自殺に踏み切る壁を突破することが出来なかっただけなのかもしれない。その証拠に毎晩毎晩夜が来るたびに枕元にある電話線が俺の首に蒔きつきたがっている幻想を見るし、朝起きて髭をそる時に剃刀でスススッと自分の頚動脈の上をなぞる手が震えてその瞬間に自分が自分を殺そうとしている事を垣間見る。これは凄い怖い。俺の命を狙っているのは俺自身なんだ。しかも相手は無意識とかそう言った種類の敵だ。下手をしたら無意識で皆で繋がっている人類全体の無意識が俺を殺そうとしているのかもしれない。隣りの家のおっさんが俺に対して包丁を振り上げて殺意剥き出しで特攻してくるなら何とかする事はできるだろう。突っ込んできたおっさんの包丁を白刃取りして、包丁を支点にしてグルリッと巴投げに移って、握った包丁を掌底に力を込めながら右に捻っておっさんから包丁を引き剥がすか、おっさんが包丁を離さなければ刃を折ってやって、ムエタイのジャンプして膝で蹴り込む技をおっさんの鳩尾に叩き込めばおっさんはその場で悶絶して俺は何とか命を救われるかもしれない。だが、相手が自分となるとそうはいかない。俺が一瞬でも気を許した瞬間に俺の中にいる俺は俺を殺そうとして台所の包丁を自分の肋骨の間から心臓に刺し込んでしまうかも知れないし、髭を剃る手が頚動脈を一撃の下に切り裂くかもしれない。下手をすれば俺はふらふらと特急電車に飛び込んでしまうかもしれない。そうなったら俺の遺族には何億円と言う金が請求されて、その金が俺の命の値段。俺の死ぬ方法の値段と考えたら高いのか安いのか分からないけど、包丁で3000円ぐらいで死ねるのに1億円とか払って死ぬのはやっぱり高いと思う。それに電車で轢かれて死ねば俺の死は他人に迷惑をかけてしまうのだ。別に電車で轢かれて死ぬ人が迷惑だとは思わないけど、やっぱり俺を弾いたせいで遅れた電車によって大切な恋人との約束に遅れる人がいるかもしれないし、親の死に目にあえない人がいるかもし得ない。逆に、夜逃げをして追手からうまく逃げる事が出来る人もいるかもしれないが、それでもやはり迷惑する人のほうが多いだろう。やはり電車は時間どおりにこなくちゃならない。そうして俺は俺が俺を殺そうとしている事をしって、自分の無意識との戦いが始まる。その戦いは熾烈だ。俺は俺の気をそらして少しでもミスを誘って俺が落ち込んで、一瞬でも俺の意識を俺に委ねるように画策してくる。俺は昼も夜もミスばかりする。そしてドンヨリと落ち込んでしまった隙に俺は俺を乗っ取って首を吊ろうとする。俺は首を吊って意識が失う一瞬前に自分の身体を取り戻して何とか俺の罠から脱出する。危ないところだった。首を吊った道具は中学2年の夏にアメリカに旅したときにまだ日本にはあんまりなかったGAPで500円で買ったお気に入りの緑のヘアバンドだ。それを首まで下ろしてドアの前に座ってヘアバンドの一方の端をドアの部に引っ掛けたのだ。これは俺が大好きだったロッカーが首を吊った時の方法と同じ。俺の中で俺を殺そうとする俺もやはり俺を完全には操る事が出来なくて俺の意識の強い方法でしか俺を殺せないようだ。俺はその方法で首を吊ろうとしたおかげで息が止まって顔が真っ赤になって、目の前が真っ白になって、なんか知らないけど涙がボロボロ出て、鼻水も出て、ついでに口から涎も出したりしてみて、あぁ、もう駄目だ。俺は俺に殺されちまうんだ。でも嫌だな。首吊りだと糞とか尿とか全部ぶちまけながら死ぬんだろうな。汚いな。あ。友達に借りてきた漫画が右足に当たってるんだけど、こいつにションベンかかったら最悪だな。あ、でも良いか。もう俺死ぬんだし、死んでたら文句いわれねーもんな。なんてことを考えてると真っ白な中に一瞬ピンクの髪の毛が視界の隅で揺れててその瞬間に意識を取りもどして何とか両手でドアノブからヘアバンドを外して自殺を防いだ。視界の端で揺れていたのは赤ん坊の頃から俺の部屋にある60センチぐらいの茶色い熊のヌイグルミで、俺は自分が幻覚を見て助かった事に感謝する。やはり俺はあのロッカーが大好きだ。ヘアバンドは伸びきっていてでかい俺の頭でもぶかぶかになってしまって使い物にならなかった。その夜に失ったのは俺のヘアバンドだけですんだけど、一歩間違っていたら俺は俺の命を失っていた。その日を境に俺の中の俺は俺を殺すことを諦めたのか決定的なチャンスを狙っているのか、夢の中で俺を追い掛け回す恐竜になって俺の身体をムシャムシャ食うような事ぐらいしかしなくなる。俺は夢の中で何回も俺と分かっているものに食べられる。ある夜はナメクジの俺に。ある夜は体中から沸いた蛆の俺に。ある夜は俺には見ることも聞くことも感知する事も出来ないような、俺の住む(?)宇宙よりも多きな宇宙外生命体に俺の宇宙ごと食べられたりする。けど、あの夜以来俺の中の俺は直接攻撃は仕掛けてこない。俺の中の俺は眠ってしまったのだろうか?だから、俺は俺の中の俺にアクセスする事が夢の中でしかできなくなるのだろうか?俺の夢は俺の自殺願望の象徴なのか、それとも俺が俺の中の俺を喰らいたいと思っている象徴なのか。