僕は一週間に一回、ムラカミハルキに逢う。逢うといっても直接会うわけではなくて、火曜日の一時間目にさりんじゃーのらい麦畑の授業でハルキに逢うのだ。毎週一回といっても僕がそんな授業に律儀に出るわけなんかないのだから、必然的に2〜3週間に一回なのだけども、それでも日常的にムラカミハルキに逢うということに僕は耐えられない。大学生としてムラカミハルキと日常的に接するなんてなんて健全なんだろうとも思うけど、やっぱり僕には無理だ。それはムラカミハルキが悪いわけじゃなくて、僕の心が悪いんだろう。心。なんてあいまいな言葉なんだろうね。僕にはさりんじゃーの作品をハルキの気配を感じずに読むことが出来ない。これはもはや病気といっていいかもしれない。『僕が』だの、『なぜなら』だの、『うんざりするじゃないか』なんていうありがちな言葉を使って、こんなにも粘っこくて、しつこくて、後味の悪い(当然最後まで読んだわけじゃないけど)小説を書けるなんてそれはそれで一つの才能だと思う。僕はライ麦畑をまったく評価できないんだけど、あんなにもたくさんの人が『スバラシイ』と言うんだから、何か僕には読めない行間の中にステキなモノが埋まっているのかもしれない。