タテモノ

近代建築は今までの建築とは大きく異なる。それは源ちゃんの言うニホンブンガクように『一から作り直した』ものだ。エレベーターと鉄筋コンクリートによって、ある程度までの限界を取り払われた(今のところこの二つだけである程度のものまではやろうと思えばやれる気がするが予算などがないね)ものにたいしてある種の秩序を与えなければならなかった。それは、今までの建築はそうするのが当然であるかのようなある種の伝統の上に成立しているものを、断絶して限られた平面空間、つまりその土地を最大限に機能的に利用し、使用可能空間の増大が目的である、『目的を持つ建築』を迫られた。当然、それまでにも協会などの『目的を持つ建築』はあっただろう。だが、もっとも最近で最も普遍した建築がニューヨークのそれであったようだ。
それまでにあったせいぜい6階建てのビルと高層ビルは全く異なる。その内部にエレベーターと言う距離を短縮するものがあってこそ成立するその建物からはその大きさと隣人が消える。歩く行程として階段があるのと、本当に距離を短縮する、ワープすることではその間の空間を『想像』することはあっても、『実感』することはない。経験と言いなおしてもよい。これは、ビル自体は空間を増大すると言うのに、エレベーターはその空間を主体経験からは削除すると言う二つの機能によって成立している。使用される空間と無意味な経験しなくて良い空間(!?)が区別され、有用である者だけが残される。目的を達成することが目的である社会においてこのような建築は重要であろう。
なんてことは全部「錯乱するニューヨーク」に書いてあります。たぶん。ふと風呂に入っているときに良くわかったから整理してみた。特にエレベーターというものが。逆なんだよあのライトの。ライトってライトさんじゃなくて。国立真美術館にあった作品のことな。
つまり、モダンと言うもの(特にダンスや一部の空間芸術)が出てくるためには、空間の省略という概念のアンチとして出てきたと考えることも出来る。と。