すんません。

操作間違って受信していなかったメール全部消したorz
ポチッと押したつもりが違うボタン押してた。そんなあっさりと消えてほしくない。いや、まぁ、新潮だとか講談社だとかのメールマガジンはいいんだ。本当にどうなってもいいメルマガたちなんだ。その他諸々のめるまがもどうでもいいんだ。こんなこと書いているとめるまがしか届いていないんじゃないかと言う疑問が来るかもしれないが、他はほとんどがスパムなんだ。スパムでも俺の存在を必要としてくれているいる人が居るということが嬉しくってしょうがないじゃないか。いや、俺のアドレスの存在か。大量発信されるメールの一受信者の日記。みたいな。
まぁ、そんなひねくれたいくら書いても何の意味もない、かといって他の文章にも全くの意味を見出せないことは暗黙の了解であるが、文章たちは置いてい置いて、問題の核心に、スパムに対する韜晦と同じレベルのどうでもいい意味のない文章で、踏み込んでいこう。何と関係代名詞説の多い英文をそのまま訳したような日本語であろうか。問題は俺のために、数少ない特定の誰か個人であろうその人が、打ってくれたメールを電子の01信号が入り混じるインターネットの世界の中を漂ってきたそれを、見事にすべて0にしてしまった俺の愚昧さである。馬鹿である。本当に馬鹿である。チェックすらしていなかったのだ。どうせなんもないと思って。そしたらメールが2000通ぐらいあったのだ。ほとんどスパムである。自分の偉大さを感じるスパムである。いや、俺のアドレスの偉大さか。偉大でもなんでもない。量ではなく質である。その通りだ。隣の家の子がピアノを始めた。帰ってくるたびに聞くが。あまり上達しない。いつも練習中である。そういえばバイオリンも曲はいつも練習中で、完成したら次の曲を弾いていた。それが嫌でずっと同じ曲をやっていたことがある。先生が次のやれって言うから仕方なしに二曲並行でやっていた。やっていたのは次の曲だけなのかもしれないが、自分はその曲をずっと弾いていた。なんだったかは忘れた。きっと俺のことだから作者はびばるでぃあたりだろう。
で、そうだ。どうでもいい文章が本当に韜晦に帰してしまっている。韜晦って凄い言葉ですね。パソコンによって復興された言葉か?で。だ。でという言葉は何と便利なものだろうか。どのような文脈も置き去りにして、そこまで展開された意味の世界を断ち切って、以前に含まれていた話に立ち返る。意味の世界の裏にはその別の意味の世界が内包されているのだろう。そこがニュアンスであったり雰囲気だった。などと書き始めたらまたずれる。で、もしなにかメールした人がいたらごめんなさい。もう一回メールしてください。このページ見てる人はほとんどが携帯で連絡できると思うのですが。謝罪の電話がほしければ喜んでそれもしますので。
多分問題ないと思うんだがなぁ〜
最近考えていること。言葉とかなんですけども。受け取る側と出す側の話が再出。高校の頃にスゲーなんか考えてた気がするんだけどなこれ。特に絵を見てそれをどう受け取るかという問題。本当は文章にももっと会っていいはずなのだが、意味と言う価値が専攻しているせいでそれほど悩み無く受け取れてしまう。それをガタガタに崩壊させてしまうと、ことばと文字が乖離していく。意味と言うものを抽出可能と見るか、意味と言うものなど二次的に発生したものだと受け取るか。意味が乖離するとそこには形骸となった文字が残る。その文字には意味がないそうだ。文字は絵である。意味のない絵を見る。文字を見る。どうも同じようなことである。だが、意味が文字の本質だとか言い始めたらなんだかこうだか。以下略
書いてみたら全然違うことを勝手に指が書いている。こういうのがパソコンは嫌だ。ひとつの『いつもの』思考形態になど落ちていきたくないのだ。安心するところや安定することなど別に求めてはいない。思想的にも。精神が救われるとか、幸せが分かるとか、そんなことに期待していないんだよ。分かるならわかりたいけど分かったら終わりじゃないのさ。昨日のまいこはAAAAAAAAAAAAんをちょっとだけ見てたが、はじめのほうのそこだけ面白かった。「始まったら終わっちゃうじゃないですか。だから帰ります。」みたいなところ。
なんとなく思い出したでかるとの話。今だから言えるけど高校の1年だったかに倫理の授業で「こぎとえるごすむ」とか聞いたときマジ痺れたのだ。「われおもうゆえにわれあり」かっこよすぎるじゃないか。そうだ。その通りだ。勝手にしやがれ。お前はそうやって存在しているだろうさ!みたいな。本当に一人でビシッと真っ暗な世界に直立してるような姿が鮮明に見えたような気がしたような気がしたことはない。ただ、はっきりと明快だった。圧倒的に。だが、そこには他者が居なかった。それが俺が満足できなかった一番の理由だった。方法序説読んでみても他者にたいする答えは全く無かった。悪霊とか意味不明なものまで飛び出していた。なんてこった。こいつは本気でこんなこと思ってるみたいだ。それじゃあまずい。俺はそれには乗らないよ。そんな感じ。感じ方は。だって、つまらないじゃないの。他の人いないと。そもそも話すのが好きな俺にはそれは致命的な欠損だった。もし世界に人がいなくておれだけだった。俺は真っ暗闇で一人で永遠と独り言を言っているのか。完全に馬鹿じゃないか。そんなこと信じながら発言をするなんてでかるとはどんなキチガイなんだ。と。それが大きな疑問で頭に乗っかったままだらだらと時間が過ぎた。大学行ってみたりして暫くしてこう、思いついた。悪霊が物凄い大切なことなのだ。前述の理論や意味などどうでもいいのではないか。あの悪霊の全ての議論を台無しにしてしまう突拍子の無さ、意味不明さ、論理的破綻、それらが重要なのではないか。などと。
で、この話オチないんだけど。このまま放置しといていい?たぶんいつかちゃんと書こうと思ってんだけど。