ヤバいという感嘆符

言葉は移り変わるもので。世代ごとの言語の差はそのままコミュニティの差になって、そもそも見えている世界の違いになるようで。使用や文脈によって意味が生じるというのは非常にわかるが、意味のない意味があった言葉などは、なんだか難しく感じるのだ。難しさが距離になるんだろう。ヤバいというのはすげぇぐらいの変換で問題ないだろうか。だが、すげぇはさらに遡るとすばらしいで、いつかはおどろきあきれるのだ。こうなるとヤバいもすげぇもよく分からない。自分にしかよく分からない。が、自分にしか分からないものは分かっているかどうかも分からない。
こまったなぁ