自己補完のための自戒

慣れないことをする連日。
具体的なことはゆっくり酒でも飲みながら愚痴りますが。結局は人間関係に集約されるような気もする。同時に二種類相手にしているから結構疲れる。親戚と会社関係。シャカイジンだったらあたりまえなんだろうが、急だからなぁ。ええ歳してるのにぷーたろうであることが幸いしてもっぱら辛い。
そもそも裏を読むとか嫌いなのだ。読むのは得意なのだが、それと同じ方法で返すのが嫌で嫌でしょうがないのだ。言いたいことも言えないこんな世の中であるわけだが、言いたいことを自分が言いたいように言おうとしてしまう。だからしばしば非常に失礼な人間であり、調子に乗りすぎており、偉そうなのだろう。しょうがないんだろうけどねぇ。だから、そんな世界からなんとかして足を洗おうとしてたんだけどねぇ。自分から悪役みたいなことしなきゃならなくなるとしんどいなぁ。自分でもそんなことしたら何様のつもりだと思うから自重してるのだが、やらなきゃなんねぇんだろうなぁ。根回しとか考えただけで憂鬱になる。憂鬱で毎晩寝ずの憂鬱をしている。会社のほうでそんな会話したら大喧嘩になりそうなことを平然と親戚から言われたりするから馬鹿さ加減に萎える。付き合いがないわけだと納得する。怒り心頭してそっちのほうの温度でいろいろ対応してしまう。ばあちゃんに窘められる。本当に俺の母方は謙虚を美徳とする家でマジでそこは俺が欠けているから、ふとした時に恥ずかしくなる。けど次の瞬間には謙虚じゃ何もできないとか開き直っているバカである。馬鹿で恥を重ねてもやらなきゃならないんだろう。いや、そもそも馬鹿で恥を重ねる程度のことしかできない。なんかいい絵でも届かないものか。いらだちとか憂鬱とか全部投げだせるぐらいでかい絵がいい。サイズじゃなくて深さが。
人間関係とかそういう感じのもので俺が一番重視していることは、温度を測ることのようで。臭いをかぐとか。端的にみると表現することが多いのだけれど。空気を読むとか、流れをよむのと同じ文脈だと思う。それの表現系と持っている雰囲気が少し異なるぐらいで。まぁ、それが違うと完全に違うとも言えるのだろうけども。雰囲気のほうがとても大切なのだろう。みるといっても、そのものを見るのではなく。言ったこととかか。ものも見ているのだけれども。いうことは消えていく。きくというべきなのだろうが、それをみる。見るのは文章の意味とかではない。その人の言葉をである。みてみると言っていることは意外と面白い。存外に人が出ている。きっとおれも相当にひどい人間として見えるものだろう。底が浅くて、せっかちで。その自分の軽さに耐えられるだけの重さも持たず、すぐに飛びつこうとする。落ち着きがない。
あぁ、そうか。とりあえず、落ち着こう。