今日もヤモリは元気

母親と話していたこと。
名前が有名な建築家は如何わしいという感じ。偏見などと書いてもいいだろうが、そう見てるわけでもなく何となくそう感じるぐらいの話だったから。
建築家は変なもので。作ったもので評価されるのに、それを作るためには大量のお金がいるわけだ。大体の場合。
そうなると、変なことが起こる。あるところで評価がカクっと上がるか、分不相応の仕事を受けない限り、「有名」にはならないだろう。
それって、なんか変だよなぁ。というはなし。一般的な人のことではなくて、らいとのこと話してての印象なので。
制作と金って、ある製作者があるものに込めた意図とある観察者がそのものから読み取る意図、なんかと一緒であるものを語る上でどれだけ考慮に入れるかっていう命題の一つだろう。
最近、どれに重きを置くかという取捨択一ばかりシュミレーションしているので現実の有象無象っぷりをよく感じる。
芸術と呼ばれるものに魅力があるとするなら、ないと言ってしまえばこのような議論は起きないから、それはそれをとりまくすべての有象無象まで込みにして、それと対面する自分自身までこみにしてのことなのだろう。イんすたレーション作品みたいな、体感型なんていわれるものは楽しいが、どのようなものであっても本来的には体験型であり、それが体験であるからこそ魅力があるのではないか。
つまり、目の前にあるだけでそれは相当に魅力的なのだ。
ということを現実に目の前にない数字ばかり相手に一日中ぐるぐるし続けて思った事でした。なんか、見たい。ぶち抜かれるようななんかを。