無音


写真を撮る人や、料理をする人は同じような文章を書く。
なんというか。3時のお茶のような。そんなに熱くない夏の日の軽やかな風鈴の音のような。透き通っていて、重くないのに身体に染み込んでくるような文章。
そう言った文章に酔ってしまった。
外で鳴く蝉の声が五月蝿すぎるのが原因かもしれない。
蝉の声は麻薬のように身体に染み込んでくる。
いや、あれは身体と言うよりも心に染み込んでくる。
幾重にも重なった音が耳の中で共鳴を起こして自分と世界との距離が遠くなっていくような間隔。
同じような間隔を海辺で感じた事がある。波の寄せては引く一定のリズム。その無限の繰り返しが気を遠くさせた。
会社の近くのコンビニで家に帰って食べる弁当を買った。
帰りのバスの中で老人が孫を膝に抱いたまま寝ていた。
家に帰ったらきっと暖かい食卓を囲む事だろう。
そう、こんな文章。そしてもっと寂しそうな文章。