吐気


あたりを見渡すと周囲は戦争に満ちていた。
いや、戦争という過去が華やかに未来を彩る蛍光色の玩具の裏に滲んでいた。
59年だ。59年もたって未だにこんなものが満ちている。いや、忘れられた記憶の中でその亡霊が唸り声を上げている。
何を間違えてしまったのか。
今となっては必死に後ろを振り返ってみても、自分が生まれる前の世界なんて分からない。
今生きている世界だって断片的にしか分からないのだから。
そんな中ではっきりと間違えてしまっていた。
それは分かる。戦争というものがこのような消費される形で世界に満ちて、そしてそれにすら気が付かずに生きていることだけでも十分すぎるほどに。
そして今となっては間違えてしまった人々も口を噤んだまま、いや、自分達の行った行為の何が間違っていたかもはっきりとわかることも無く、ただ大衆の中に埋没して大きな流れの中から個々は何もすることなく死滅しようとしている。
あの時望んだ変化は何であったか。
それは集団が望んだ変化であったのか、個人が望んだ変化であったのか。もしくは、時代がその変化を必要とし、そして我々を裏切ったのか。
その記録すらはっきりと残っていない。
物質的発展のために精神的な部分を切り捨てたという。果たしてそうだろうか。
人々は物質的な欠落の上に、物質的な発展を何よりも望んだ。精神的安らぎよりもむしろ生きる事を望んだ。
その獣性が発展の背後にはあり、その後に欲望へと変貌するまでに大きな時間はかからなかった。
そして文化に対して後ろめたさを背負うようになった。物質的発展を言い訳にして、そのとき個々が解決すべき転向の問題をうやむやにして今に至った。
その亡霊は今になっても文化を呪っている。