あーもう糞死ねよボケつーか今すぐ黙れって


こんな思春期のガキが夜中に自分の部屋で一人で書いて半泣きになってて心オナニーしてるような文章が書きたいんじゃなくて、もっとむしろこう。萩原朔太郎(せかちゅーの主人公の名前と同じってだけで腹が立つけど。せかちゅーが)。その萩原朔太郎の月に吼えろみたいな哀愁?つーか、怒りをばななから舞城に至るラインで何とか表現したいんだけど、そんな重いものを表現する言葉がもう生き残ってなくて、じゃあ産卵して受精させてそこから育ててくしかないんだけども、どうも俺は男だから垂れ流す事しか出来ないみたいで、いつまでたっても芽が生えてくる様子が無い。これは困った。こうやって毎日畑を耕して精子を蒔いてりゃいつか一つぐらい芽が出ると思ったんだけど、一つも芽が出ないどころか俺は毎日何億匹もの子種を酸素で窒息死させている。もしかしたら言葉は男と女だけじゃ生命として発生しなくて第三のアンドロギュヌスあたりが必須項目なのかもしれない。大地が女で俺が男。じゃあ、残りのアンドロギュヌスは血といった所か。言葉には血が必要か?この場合の血はやっぱり大地と男との繋がりってことなんだろう。人間の卵子は淫乱だからは誰の精子とでもすぐにくっついちゃって、そのせいで本当はくっつきたくなかった人たちが涙を流す事もあるわけだけども、言葉は人間みたいにとりあえず生き残りたいって言うほど節操が無いのか。だから、大地と男との間に関係がないと子を成さないらしい。弱った。これは弱った。俺には言葉にささげる血なんて持っていないし、そもそも日本語を話している根拠になるような意思もない。俺はたまたまここに生まれて、それで親の仕事の関係もあっただろうけど、大半の人と変わらずに日本で成長した。そしたら俺の意識は日本語で出来上がっていた。それなのに対価の血を払えだなんてボッタクリもいいことだ。いや、むしろこの場合の血は愛国心のようなものなのか?愛native心て所か。日本語?への愛が新しい言葉を生み出すってことか。そうか。なら俺は毎日日本語を思いながら精子を蒔けば良いってことか?いや、ちょっと待てよ。ここまで考えてふと気が付く。俺は別に日本語なんかで文章を書こうなんて思っちゃいない。それは惰性的に俺が日本語が一番出来て、英語が嫌いで、ドイツ語なんて読めなくて、フランス語は発音が苦手で、イタリア語は日本人がしゃべるとアホみたいだからしゃべらない事にしているからだ。ジェームスジョイスフィネガンズ・ウェイクでやったみたいに世界中の言葉の雰囲気をちょこっとずつ持ってきて壮大なシナリオを組み上げても良いんだ。ただ、俺にはそれが出来ないだけであって。これは選択したように見えて選択できなかったものだ。俺が生みたいのは言葉であって、日本語じゃない。日本語って言うのは何なのか?俺の意識ができる前から俺の意識のソースの部分に入り込んでいて、その癖俺に全容を明らかにしようとしない。変な文法で、分かり難いッたらありゃしない。きっと俺の性格が歪んでいる原因の何割かは確実に日本語のせいだ。いや、俺が今までの人生を全く同じように英語でなぞったら、もしかしたら俺は最高のナイスガイになってしまうかもしれない。これはなんて心地いい妄想なんだ。日本語が英語になる時点で全く同じはありえないけどもな。そんな事はどうでもいい。いけない。どうも分裂症気味に思考が流れる。脳味噌が伝達物質を垂れ流してる。絞まりの悪いシナプスだ。本当に垂れ流しているのか手を突っ込んで確かめたい所だが。死にたいです。それは脳味噌が腐ってるからです。ふざけるな。それは俺が死にたいから死にたいんだ。物理的解決は物理的異常を物理的に見つけてからにしろ。俺は死にたいなら死んでやる。あー糞!文章が勝手にずれる!そんな話をしたいんじゃない!いつもこうだ。俺は俺の狙った事なんて何も出来ずに、ただ流される。それしか出来ない!結局の所。俺には才能が無いってことだ。そして才能とか言う言葉を使う時点で俺は逃げているんだ。あーもう糞死ねよボケつーか今すぐ黙れって