梅雨の日のような雨の振る日

あまりにも大学に来ていないため、授業の時間を一時間間違えて登校してしまった。ヒマ。ヒマなので日記でも書くことにする。二週間ぶりぐらいに会った室員さんによると相変わらず昼休みは一年生に占拠されている模様。七年生のあの人は一人、孤独な戦いを続けているらしい。昨日は梅酒を造った。造ったなどというと大げさなので作ったとでも言うべきだろう。今年はとても大振りでとてもよく取れたらしく1キロ780円ほどで買えた。5リットルの容器にいい感じに梅が漬かっている。写めーるなどというものでその現状を言葉ではなく一目瞭然の形。百聞は一見にしかずという、ならば文字と会話の違いはどうかという問題は残るにしても。で、さらす事をするつもりでいたのだが、既に梅酒はワンルームの私の家の流しの下で3ヶ月というときが経つのをじっと待っているので、次に砂糖が溶けているかどうかを確認するときにでも画像は上げようと思う。それにしても梅というものはとても不思議な植物で、水につけると表面の細かい毛によって光が干渉し、まるで寒天の中に梅が浮いているように見えるのだ。そのような梅をあらい、氷砂糖と交互にビンに入れ、最後に35パーセント程度のアルコールを注ぐ。一時間程度であったが、とても楽しい時間であった。3ヵ月後以降に来た人にはこの梅酒を振舞うつもりだ。6ヶ月程度するとより熟成した味になるそうだが。そういえば、一昨日はもうすぐ枯れるという状態の向日葵を買ってきた。100円であった。その安さもさることながら、はちに入れられて最後の、本当にちょっと触ればはらはらと花が落ちていってしまいそうな状態の、向日葵が10個ほど集められて置いてある姿に憐憫というものでもあるまい、何がしかの同情に近い感情を感じてふいと買ってきてしまった。折角なので向日葵に名前を付け、彼が枯れるまでの短い間、私の話し相手になってもらおうと思うのだが、どうもしっくりくる名前が無い。ウィトゲんシュタインや、ホイジんガやフェルマーの最終定理などといった名前で読んでみるもののしっくりこないが、ほも・るーべんすという名前が妙にしっくりと来たために、ほも・るーべんすと呼ぶことにした。ほも・るーべんすは私の二回の部屋のベランダ、と言うほどの場所でも無いが、にぽつねんと置かれている。家に帰ると、敷地に入るところから上を見上げるとほも・るーべんすが一人でじいっと空を睨みながら顎を少しそらせて胸を張っている。何だかとてもよい光景に思える。家に帰る理由もできる。ということで、私はいま、ほも・るーべんすとの短い共存生活を楽しんでいる。